本日のお題は、台湾の義務制の兵役訓練が、4ヶ月から1年に伸びたというお話。
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exercise4 の4番の質問に
Do you think the war in Ukraine is likely to end anytime soon? Why? Why not?
というのがあった。
そこでは少しは日本史の講師らしいことを言いたいなと思った。
No, I don't.
Because , even if we impose moreover economic sanctions on Russia, China will support the country.
If the international community marginalizes some countries, the outcast nations will only form alliances.
Like German-Japanese-Italian Tripartite Pact which was formed in 1940.
1933年に相次いで国際連盟脱退を表明した日本とドイツは、コミンテルンにファシズム国家として名指しで指名されると、1936年に日独防共協定を結び、さらに1937年にはイタリアを加えて日独伊三国防共協定とした。
1939年のノモンハン事件で、日本が仮想敵国であるソ連と戦っていたにも関わらず、あろうことにその仮想敵国とドイツは独ソ不可侵条約を結んだ。それで殆ど日独伊三国防共協定は意味が無くなった。
しかし、この後ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まり、しかも緒戦はドイツが優勢になると、ドイツと軍事同盟を結び、欧州諸国の植民地に進出しようという声が、特に日本陸軍の間からあがってきた。
背景にアメリカが日米通商航海条約の廃棄を通告してきて、経済制裁が予想されたこともある。
この条約は第六条に経済制裁の禁止条項がある。ゆえに、この条約の廃棄通告は「言うことを聞かないと、経済制裁をするぞ!」という脅しでもあったのだ。
陸軍は1936年に復活した軍部大臣現役武官制を使って、親米的で軍司同盟に消極的だった米内内閣を倒して、近衛に内閣を組閣させるように動いた。
これが第二次近衛内閣である。外務大臣は松岡洋右。この内閣が1940年に締結したのが日独伊三国同盟である。
“除け者者国家”を除け者にしたところで、反省するどころかかえって除け者同士で結び付く。
人間社会の動きは、時代が変わっても本質は変わらなかったりする。
我々は歴史に学ばなければいけない。